ウェスレアン・ホーリネス教団信仰告白
ウェスレアン・ホーリネス教団信仰告白
わたしたちは信(しん)じ、告白(こくはく)します。
聖書(せいしょ)六十六巻(かん)は、神(かみ)の霊感(れいかん)によって書(か)かれ結集(けっしゅう)され、キリストを証(あか)しし、福音(ふくいん)の真理(しんり)を示(しめ)す教会(きょうかい)の唯一(ゆいいつ)の正典(せいてん)です。聖書(せいしょ)は聖霊(せいれい)によって、神(かみ)と救(すく)いについて十全(じゅうぜん)な知識(ちしき)を与(あた)える神(かみ)の言(ことば)であり、信仰(しんこう)と生活(せいかつ)との誤(あやま)りのない規範(きはん)です。
主(しゅ)イエス・キリストによって啓示(けいじ)され、聖書(せいしょ)において証(あか)しされる唯一(ゆいいつ)の神(かみ)は、「父(ちち)・子(こ)・聖霊(せいれい)」である三位(さんみ)一体(いったい)の神(かみ)として存在(そんざい)し働(はたら)かれます。御子(みこ)はわたしたち罪人(つみびと)の救(すく)いのために人(ひと)となり、十字架(じゅうじか)で御(ご)自身(じしん)をささげ、死(し)より甦(よみがえ)り、わたしたちの贖(あがな)いを完(かん)成(せい)されました。
神(かみ)は恵(めぐ)みによってわたしたちを招(まね)き、ただキリストを信(しん)じる信仰(しんこう)によって、罪(つみ)を赦(ゆる)して義(ぎ)とし、新(あたら)しい命(いのち)に生(い)かし、神(かみ)の民(たみ)とされました。この恵(めぐ)みのうちに聖霊(せいれい)はわたしたちを聖(きよ)め、キリストに似(に)たものとし、聖霊(せいれい)の実(み)を結(むす)ばせ、教会(きょうかい)を建(た)て上(あ)げ、愛(あい)の御業(みわざ)を成(な)し遂(と)げられます。
教会(きょうかい)はキリストの体(からだ)であり、恵(めぐ)みによって召(め)された人々(ひとびと)の共(きょう)同体(どうたい)です。教会(きょうかい)は公(こう)同(どう)の礼拝(れいはい)を守(まも)り、福音(ふくいん)を正(ただ)しく宣(の)べ伝(つた)え、バプテスマと聖餐(せいさん)との聖(せい)礼典(れいてん)を執(と)り行(おこな)い、地(ち)の塩(しお)・世(よ)の光(ひかり)として愛(あい)のわざに励(はげ)みつつ、主(しゅ)の再臨(さいりん)を待(ま)ち望(のぞ)みます。
わたしたちはこのように信(しん)じ、代々(よよ)の聖徒(せいと)と共(とも)に、使徒(しと)信条(しんじょう)を告白(こくはく)します。
「我(われ)は天地(てんち)の造(つく)り主(ぬし)、全能(ぜんのう)の父(ちち)なる神(かみ)を信(しん)ず。
我(われ)はその独(ひと)り子(ご)、我(われ)らの主(しゅ)、イエス・キリストを信(しん)ず。主(しゅ)は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(う)まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦(くる)しみを受(う)け、十字架(じゅうじか)につけられ、死(し)にて葬(ほうむ)られ、陰府(よみ)にくだり、三(みっ)日目(かめ)に死(し)人(にん)のうちより甦(よみがえ)り、天に昇(のぼ)り、全能(ぜんのう)の父(ちち)なる神(かみ)の右(みぎ)に座(ざ)したまえり、かしこより来(き)たりて生(い)ける者(もの)と死(し)ねる者(もの)とを審(さば)きたまわん。
我(われ)は聖霊(せいれい)を信(しん)ず、聖(せい)なる公同(こうどう)の教(きょう)会(かい)、聖(せい)徒(と)の交(まじ)わり、罪(つみ)の赦(ゆる)し、身体(からだ)の甦(よみがえ)り、永遠(とこしえ)の命(いのち)を信(しん)ず。」
アーメン
2009年3月26日第9回定期総会制定